岸和田だんじり祭
テレビ放映などですっかり有名になった、大阪南部、岸和田市の「だんじり祭」。
岸和田市北西部、岸和田城下およびその周辺の全地域(旧市と呼ばれる地域)で極めて大規模なお祭りです。
同日開催の春木だんじり祭と合わせて南北3.5km、東西1kmの範囲で交通規制が敷かれます。
これは南海本線春木駅~蛸地蔵駅(たこじぞう)間の4駅全てが含まれる規模です。
印象として「だんじりのぶっ飛ばし、激突」「やりまわし(方向転換)」の凄さ!ですね。
中でも岸和田はだんじりの本場であることから特に過激です。
それと、だんじりの屋根、最上部で団扇を持ち舞いを舞う「大工方」の勇壮な姿。とても人間技とも思えない程の勇壮な姿です。
祭りの日程が近くなると「若頭」「組」「大工方」「青年團」の訓練も昼夜問わず激しくなり、
だんじりの屋根を模した「揺れる板」の上での「大工方」特訓がそちこちで目撃されます。
あの独特のお囃子の訓練もほぼ数カ月、というより年間を通じて実施しているようで、あの熱心さは凄いですよ。
速度に乗っただんじりを方向転換させる「やりまわし」が醍醐味で、曳行コースの曲がり角は大勢の観客で溢れ、とてもダイナミック。
また、だんじりに施された精緻な彫刻も見所ですね!
全国区へ拡散
もとは関西の一地方の祭でしたが、昭和の終わり頃から多くのメディアで紹介されるようになり、一気に全国区の祭となりました。
期間的には毎年9月、10月の祭りでして、近年ではピーク2日間で56万人の観客動員。
さらに近年、だんじりを所有する町会が増加しており、規模が拡大しつつあるようです。
例えば、隣接する「和泉市」「忠岡町」「貝塚市」「泉佐野市」「高石市」の多くの町会。そして「富田林市」も。そして私「まちくま」が居住している堺市西区「鳳(おおとり)から浜寺地区」の町会に至るまで、「だんじり祭」は実施されます。
そして、さらに、さらに河内地域(河内国。 大阪府東部)、摂津地域(摂津国。 大阪府北中部、兵庫県南東部)にも。もうこれは単なる祭りではなく、関西地区の「だんじり」拡散現象とでも言いましょうか・・・。
だんじり祭に関する事故について
当然、怪我人や死亡事故も起きるわけで、その「責任」についての問題も提起されております。
昨年(2023年9月16日)も「まちくま」が住んでいる堺市で、たんじりが倒れ11人がケガを負いました。
この件に関し、こんなご意見もあります。
元大阪府知事で弁護士の橋下徹氏(53)は、翌日のフジテレビの情報番組「めざまし8(エイト)」に出演し、この事故について言及しています。大阪府知事の時にだんじり祭りについて議論になったといい「その時に通常の行政、警察の介入の仕方をやってしまうと祭りが成立しなくなるんです。
この祭りに関し、基本的には怪我や事故はあくまでも個人責任ということなのか。
極めて難しい問題です。
これから、見物に行かれる方。ぜひ事前の交通や祭りルールなどをご確認ください。
特に危険な場所では、立入禁止にしているので、絶対に入らないこと。 動いているだんじり(地車)には近づかないことが大切です。
「まちくま」が調べた岸和田市の歴史
岸和田市の歴史
建武元年(1334)楠正成の一族和田氏が、当時「岸」と呼ばれていたこの地に城を築き、根拠地としたことから「岸の和田氏」と呼ばれ、
「岸和田」の地名の起こりになったといわれています。
その後、信濃氏、細川氏、三好氏、松浦氏、中村氏、小出氏、松平氏とかわり、寛永17年(1640)岡部宣勝が入城、
以来13代続き明治を迎えました。大正11年11月1日、大阪市、堺市に次いで府下で3番目に市制を施行し、今日に至っています。
岸和田城について
天正13(1585)年、羽柴秀吉は紀州根来寺討滅後、叔父小出秀政を城主とし、秀政によって城郭整備され、天守閣もこの時に築かれました。
小出秀政・吉政・吉英、松平(松井)康重・康映をへて寛永17(1640)年、岡部宣勝が入城(6万石、のち5万3千石)。
以後、明治維新まで岡部氏13代が岸和田藩を統治しました。
天守閣は文政10(1827)年に落雷で焼失、維新期には櫓・門など城郭施設を自ら破壊したため、
近世以前の構造物は堀と石垣以外には残存していません。
現天守閣は、昭和29年に建造された3層3階の天守です。
本来は5層天守であったことが絵図などで確認されています。
城跡は昭和18年に大阪府指定史跡となりました。
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